#読むマリ written by “友達”
「eat dessert first! = デザートから食え!」
という言葉を、我慢できない言い訳に使ってしまう。だから、好きなものから述べる。そして、皆の人生も、好きなものから食べてほしい。俺の場合、マリを知らない人には『マジックアワー』を最初に薦める。
マリ「マジックアワー」Offical Music Video-Youtube
この曲は “れんあい” に “せんさい” で “てんさい” だから “けんかい” を綴りたい。世間は「エモいエモい」と暗証の禅師のごとく連呼する。「音楽なんて『Don’t think, Feel !』だ!」たしかに、間違いではない。だが「オーセンティックさ」に触れると、 “エモ” のコアイメージを捉えられる。『マジックアワー』の如く、白が、黄に、橙に、紫に、青に、群青に、漆黒に一瞬で変わるように、曲の “いろ” を変える方法がここにある。
この文の読了までは5分。曲の長さは221秒間。計10分足らずで『マジックアワー』を体感する。途中で脱落するもまたヨシ、だ。『マジックアワー』みたいに環境がスピーディに変化するときはストレスがかかる。何かを得るときは、同時にコストがかかる。つまりトレードオフ。(特に今回は、メンバーすら最後まで読まないだろうから…。)
後述するが『マジックアワー』というコアイメージとは対極をなすように、リリックは『無駄な品詞』が一つもなく、構造としてはとてもタイト。このメタさが “てんさい” だ。
〈街の灯が灯りだす帰り道〉
電球のスイッチを押すとき。その瞬間こそが生活の「昼⇆夜」「明⇆暗」の境界。個々人でタイミングが少しだけ違うから、マクロで、街全体で俯瞰すると、その光景は “グラデーション” となる。「空・地平」と「人工・人口」がつくりだす両者の『マジックアワー』でこの曲がはじまる。
〈今日は一駅分歩いていこう〉
「一駅分歩かなきゃ!」ではなく〈歩いていこう〉というのは「フィジカル・メンタル」の両面で余裕がある証拠だ。前者を考察すると、暑くもなく、寒くもない、心地よい季節の “当たり” の日。春か秋の、晴れの日かな。なんとなく秋っぽい。そして、後者の視点に立つと「ワクワクしている」心象を読み取れる。
〈片耳同士で繋がった〉
セオリーでいけばイヤフォン。これは “赤い糸” ならぬ “白いコード” …いや、令和の今、その〈繋がった〉様は物理的には視認できないが、強いていうなら “青色” か。しかし、ある意味〈繋がっ〉ていることがこの後にわかる。
〈ポータブルポップミュージック〉
頭韻で、かつ半濁音。音声学的には、口唇破裂音。清音でも濁音でもなく、半濁音。これもまた “グラデーション” という境目を想起させる。
〈を響かせて〉
「〜をきく」ではなく「響かせ」とあるので、「どこに?」と問われれば「心に」となる。「何を?」と聞かれたら「BGMを」となる。つまり、ここでの音楽はあくまでサブ、バイプレーヤー。「では主人公は?」となるが、これは必然的に決まる。
〈ああ染まる夕焼け空には〉
ようやくここで楽曲タイトルにまつわる直接的な言及。しかしながら、あなたは、ここまでで「既になぜか “色彩” を認識している」はず。これが前述した “てんさい” たる所以だ。「オーセンティックなリリカルさ」とは、まさにこれ。
そして〈夕焼け〉。太陽は西に沈み、その西に夕焼けが見える、ということは、空気が澄んでいて「雲がない」状態。前述した「心地よい季節・天気」と整合性がとれる。さらに、この「雲がない」状態の心象は?風景描写によって、心情がわかる。
〈ほら気付く愛しさが加速していく〉
「ほら気付く」というのは、前述した〈夕焼け空〉の「空模様」が『心もよう』(cf.井上陽水)に展開されている。シンプル言い換えれば、あなたは夕焼けを見て、どう感じるだろうか?その通り。だから感傷的だが、ポジティブで〈愛しさ〉が“勝手に”増す。だから〈加速していく〉なのだ。(cf. ここでギターも加速している)
〈つないだ手の先から 溢れ出す〉―①
〈優しい言葉を 繋ぎ合わす〉-②
①:まず注目したいのは、「指先」ではなく〈“手の”先〉である点。「指先」だと辻褄が合わないからだ。「指先」は「触れるもの」で「繋ぐもの」ではない。そして「つなぐ対象」は言及せずともわかる。では「繋ぎ方」は?となるが、握手のようにつなぐと、この「〈手の先〉を感じられる」だろうか?そうではなく、互いの5本の指をそれぞれ交差させあっており、それにより自身の指同士の物理的距離が生まれる。だからこそ「〈手の先〉を感じられる」のだ。その上で想像してみてほしい。こんな繋ぎ方をするのは “どんな関係性のとき” だろう?(cf. 人間は人間を観察するとき、まず視線がいくのは先端部分。だからリングや靴や髪型に皆がこだわり、お金をかける)そして、その上で〈溢れ出〉したのは何だろうか?
②: ①で生まれた “この感情” に触発されて、自然と出てきた〈優しい言葉〉。〈優しい言葉〉という表現はとてもファジーだ。だって、親切な言葉か?褒め言葉か?わからない。仮に「直接的ではない」という意味での優しさ(=マイルドさ)…としてみる。すると、「直接的な表現を使えない距離感」とも推察できる。
①+②:さて物理的に、本来ならば「手を繋ぎ合わ」し、「言葉が溢れ出す」はず。それを踏まえて、もう一回『マジックアワー』の歌詞を読んでみる。すると、主語と述語が①と②でクロスしていることがわかるはず…
…いや。違う!
〈つないだ手の / 先から ///// 溢れ出す 優しい言葉を / 繋ぎ合わす〉-③
つまり、ここでの「先」は「近未来」の意の「先」とも取れる。つまり、「手を〈“つない〉で” “すぐに” 溢れ出した優しい言葉を 〈“繋ぎ”合わす〉(≒ 交わす)」という解釈。そうすると、〈つないだ〉のは “手” であり、〈繋ぎ合わ〉せた のは 言葉。表記も “ツナイダ” が、“つないだ” と “繋いだ” というように、“ひらがな” と “漢字” が混在しているのは偶然ではないだろう。
あと、考えられるのは…
〈つないだ手の先から溢れ出す優しい言葉 / を / 繋ぎ合わす〉-④
「(口ではなく)手から優しい言葉が溢れ出す」というように、身体機能をずらした表現を持ってして “特殊な心理状態” を述べているのかもしれない。
〈水たまりに映る 僕らの 頼りない背中を 北風がそっと押して〉
〈水たまり〉ということは雨が降った後。「雨の日の気分」は言わずもがな。そして〈北風〉。これは、晩秋から初冬に吹く風。だから、1番の歌詞から少しだけ時が経っている。そしていつの間にか〈僕ら〉という表現になっている。しかしながら〈頼りない背中を〉〈そっと〉押してくれている。そして、この〈背中〉は〈水たまりに映〉っている。
〈水たまりに映る〉〈背中〉を揺らす〈風〉。すると、「水面はどうみえる」だろうか?その画をみてあなたはどんな感情を覚える?
〈浮かぶひつじ雲を見つけ 君は〉
〈ひつじ雲〉は秋の雲。しかし、“低気圧”時 や “秋雨”の時によくみられる。低気圧、つまり、やはりまた雨。そして「雨の日の気分」は…これまた、言わずもがな。さらにもっというと…、この〈ひつじ雲〉って “どこに” みつけたんだろうかね………?
〈明日も雨かなと つぶやいた〉
前述の〈水たまり〉もそうだし〈ひつじ雲〉もそう。やっぱり雨でした。〈明日 “も” 雨かな〉と、未来の “空模様” が、いや、“心もよう” が示唆されている。そして「話す」「声に出す」ではなく〈つぶや〉く、とある。「会話」ではない〈つぶや〉き。はたして、これは「聞かせたい」のだろうか。届いてほしいようで、届いてほしくない。気づいてほしいようで、気づいて欲しくない。…いや、逆かも。〈つぶや〉く大きさの声すら、きこえてしまった、と。
〈ああ染まる 君の横顔に〉
ここで〈染ま〉っているのは「空」ではなく〈君の横顔〉。「何によって何色に〈染ま〉っているか」は言及されていない。セオリーでいけば「夕日によって茜色に〈染ま〉っている」となるが「“涙” によって(表情が)“暗く” 〈染ま〉って」いる。こんな解釈は突飛だろうか。
〈また気付く 愛しさ が加速していく〉
ここが一番重要かもしれない。前述の〈“ほら” 気付く〉ではない。〈“また”〉だからだ。この〈“また”〉は「二度目」なのか「さらに」なのか「違う面」なのか。俺は「深く再確認した」と捉えてみた。
そして、構造としては、以下のどれだろうか。
〈また気付く愛しさ / が / 加速していく〉-⑤
〈また気付く / 愛しさが加速していく〉-⑥
〈(ああ染まる君の横顔に)また気付く ////// 愛しさが加速していく〉-⑦
〈つないだ手の先から 溢れ出す〉
〈優しい言葉を 繋ぎ合わす〉
〈忘れないように 抱きしめて〉
何を〈忘れない〉のか?セオリーでいけば、対象は「この瞬間」。では「この瞬間」何が起こったのか。そして、なぜ「忘れない “ように”」なのか。良い思い出だから?それとも、あえて嫌な解釈をすると、自責の念に駆られているから?さらに「抱きしめて」いる対象は、感情?思い出?それとも、パートナー?でも…
〈花束にしたら プレゼントしよう〉
〈花 “束”〉つまり、束にするにはリボンが必要。例えば「抱きしめ」たとき、あなたの“腕” は何にみえるだろうか?この “腕” がリボンだとしたら〈花束〉は?ともとれる。ここまでをまとめると、以下の3つの解釈が可能だ。
A.「ハグをした行為」が客体にとっての〈プレゼント〉
B.「ハグをした行為の思い出・記憶」がお互いにとっての〈プレゼント〉
C.「ハグをされた “客体” 」が主体にとっての〈プレゼント〉
いやいや。そもそも…
〈つないだ手の先から溢れ出す優しい言葉を 繋ぎ合わす〉← この一連の動作と心情の変化の瞬間(=マジックアワー)を〈忘れないように〉物理的に客体を〈抱きしめ〉ることで、これらをまとめて印象付けて→〈花束〉みたい〈にしたら〉客体に「思い出として」〈プレゼントしよう〉
という流れが make sense するかもしれない。
〈つないだ手の先から 溢れ出す〉
〈優しい言葉を 繋ぎ合わす〉
〈忘れないように 抱きしめて〉
〈花束にしたら プレゼント〉
…で、ようやっと最後のセンテンスに…と言いたいところが、ここで、これに触れずにはいられない。
ここでは〈花束にしたら プレゼント〉で
前述したのは〈花束にしたら プレゼントしよう〉だ。
〈しよう〉がなくなっている…!
でも、もう「譜割りの関係そうしただけだよ」と言ってくるのを願いたい。少し疲れてきたから。詳しくはライブハウスで作家本人に尋ねてみてくれ…。
〈ああ染まる 二人の背中に 幸あれと 言葉を締めくくろう〉
これまた、何によって〈染まる〉のだろう?はっきりとわかるのは〈染ま〉れるのだから、この日は “晴れ” だ。“雨” じゃない。そして〈“二人の” 背中〉とある。前述のように〈僕ら〉じゃないし、「君」や「あなた」といった二人称でもない。そして、動詞のカタチからすると、ここの主体は三人称ともとれる。だから…
〈幸あれと 言葉を締めくく〉るのは…
この曲をLIVEで聴く、アナタ。
…かもしれない。
マジックアワー
詞:大山雅司
街の灯が灯りだす 帰り道
今日は一駅分歩いていこう
片耳同士で繋がった
ポータブルポップミュージックを
響かせて
ああ染まる夕焼け空には
ほら気付く愛しさが 加速していく
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
水たまりに映る 僕らの
頼りない背中を
北風がそっと押して
浮かぶひつじ雲を見つけ 君は
明日も雨かなとつぶやいた
ああ染まる 君の横顔に
また気付く愛しさが 加速していく
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
忘れないように 抱きしめて
花束にしたら プレゼントしよう
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
忘れないように 抱きしめて
花束にしたら プレゼント
ああ染まる 二人の背中に
幸あれと 言葉を締めくくろう