#読むマリ written by 友達
「だから、その、馬の駆け足くらいのスピードってどれくらいですか?」
同じ内容を投げても、同じものしか跳ね返ってこなかった。百聞は一見に如かず、という諺はここフランスにもあるのだろうか。“今朝”は5時に起きて、今、夕方になりつつある。“昨夜” パリに着いたばかりなのに、今は石垣に腰掛け、サン・マロ湾から海を望んでいる。日系のトリップアドバイザー曰く、「馬の駆け足くらいのスピードで潮が満ちてくる」そうだ。
さて、“この日”の昨日。
“予定では” 7時間だけ、列車の中で我慢すれば良いはずだった。しかし“現実”は、停止したり、ノロノロと動きだしたり、のらりくらりしていた。車窓から、10時間以上もモノクロな景色を眺めさせられていた。ひどい雪だ。そして、直接は鼓膜には触れないが「シンシン」と冷酷に圧迫してくる雪に急かされていた。
「とにかく安く」とギッチギチに旅程を組んでしまったから、こういう「どうしようもない状態」が一番イライラする。「イライラと不安は精神医学的には同じ感情」だそうだ。つまり、不安だったのだろう。学生の時給で貯めたお金で、せっかくヨーロッパを周遊しているのに、なぜこんなにもジリジリしているのだろうか。頭では理解しているのに、ハプニングが起こる旅(=度)に、それをネタにできず、イライラしている自分にまたイライラする。
相変わらず「チクタク」いってくる「車窓から見える雪」をもう観たくなくなったから、拗ねるように視線を車内に向け、グルグルと泳がせる。通路を挟んで、左後ろのシートにスキー板を担いだまま座っているアラサー北欧カップル(?)が目に入った。
「座りながらスキー板を肩にかけていて疲れないのか」とか思った矢先、誰かのNOKIAからチーズィーなメロディが響きわたる。なぜか示し合わせたように車内までもシンとするが、そのカップルだけは、その着メロに合わせて楽しそうに、シートに座ったまま小躍りしていた。「そこに音が流れたから、体を揺らしただけ」と、まるでアルピニストかの如く。It’s not the altitude, it’s the attitude.
彼らからすれば「天気にすらイラついているアジア人の学生」の方が「生きてて疲れないのかい?」と思うだろう。「図星だ」と、また、そんなことで煩悶していると、だんだんバカらしくなってくる。でもなぜか、少し頬が緩まった。
半日も揺られて、パリに着いたのは19時。さらにそこから切符の買い方を間違えて、路線も間違えて、雪に打たれていると安いスニーカーの中敷が濡れてきた。傘なんか持ってきてないし、どうしようもなくなって、流石に大胆になって、辺りにいるパリジャンに藁をもすがる勢いでホテルの場所をきく。何を言っているかわからないが「ついてこい」という意思だけは汲み取れた。途中まで一緒にメトロに乗ってくれて、他のパリジェンヌに“俺”をバトンのごとくパスし、託す。俺はその新しい別のパリジェンヌにまた無言でただついていく。そんなことを4〜5回繰り返すと、やっと宿についた。ビショビショで、末梢が かじかんで痛いが、今日“アレ”をみないと、次はもう無いかもしれない。「フランス人はプライドが高い」というガセネタはこの道中で完全に払拭されたし、弱り目に祟り目な今日はとことんいってやろう、と、『深夜特急』に乗った気分で “アレ” を目指す。
ヘヴィースノウで曇天な中、ぼんやりと柔らかく佇む『鉄の貴婦人』が、哀れみを持ってシニカルに、俺に笑いかける。葉が散りきった木々が真っ黒に、アングルの端に写り込んでいる“その画像”のメタデータをみると「21:11」とある。
と、そんな “昨日” を旅先の石垣に座ってさっそく振り返ったり、“今日” パリからここまでの道中、バスで寄ったパーキングエリアでなぜか“青リンゴ”を買って齧ったりしたのも、全部、旅のせいにしておく。そんなことをまたまた考えていると、肝心の「馬の駆け足くらいのスピードで満ちてくる潮」を見逃してしまった。
でも、“今”、眼前には、寒い空と海のド真ん中に “その世界遺産” が堂々と、そして絢爛と鎮座している。「今の俺ならスリザリンになってしまうのかな…?」と、国が全く違うし、大学生にしてはハシャいだイメージが湧き、胸がドクドクする。だから「満ちてくる潮なんてどうでもいい」と、文字通り “聖地巡礼” し、念願叶った今なら、そう笑い飛ばせる。
この『マジックアワー』で潮が満ち、孤島になり、ライトアップされ、昼から夜になる。色も、時間も、生活もグラデーション。デジタルではないし、モノクロでもない。全てが曖昧で、かつ、その全てがスピーディに切り替わっていくこの特別な時間帯。色とか、動きとか、まぁ全部見逃しちゃったけど、気持ちはエンストしないように“半クラ”できれいなグラデーションをもって移行できた。
…と、まぁ、こんな10年以上も昔の、青く、冷たく、不安で、しかし少しだけ〈灯が灯りだす〉思い出が、マリ『マジックアワー』を聴くたびに湧きだしてくる。“エモい”なんて言葉が今みたいに量産されていなかった当時、俺は “emo” をよく聴いていた。
だから、時間の法則を一気にバグらせるこの曲をこれから解説したい。…けど、長くなってきたからそれはまた今度。
それではみなさん、聴いてください。
マリ、マジックアワー。
マジックアワー
詞:大山雅司
街の灯が灯りだす 帰り道
今日は一駅分歩いていこう
片耳同士で繋がった
ポータブルポップミュージックを
響かせて
ああ染まる夕焼け空には
ほら気付く愛しさが 加速していく
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
水たまりに映る 僕らの
頼りない背中を
北風がそっと押して
浮かぶひつじ雲を見つけ 君は
明日も雨かなとつぶやいた
ああ染まる 君の横顔に
また気付く愛しさが 加速していく
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
忘れないように 抱きしめて
花束にしたら プレゼントしよう
つないだ手の先から 溢れ出す
優しい言葉を 繋ぎ合わす
忘れないように 抱きしめて
花束にしたら プレゼント
ああ染まる 二人の背中に
幸あれと 言葉を締めくくろう